劇場版『RE:cycle of the PENGUINDRUM』

SPECIAL

監督 幾原邦彦 × 作家 辻村深月 SPECIAL TALK [“共通の風景を見てきた”二人が語る『輪るピングドラム』と“現実世界”]

「今、自分の中にあった歴史がさらに進む瞬間を見てるんだ」っていう嬉しさがありました。

――― おふたりの最初の接点は?

辻村 私がずっと幾原監督の大ファンだったんです。それで、自分の小説の2作目である『子どもたちは夜と遊ぶ』が文庫になる時に、ダメもとで幾原監督に解説をお願いしたのが最初です。そうしたら、まさかのご快諾を。その解説に「辻村深月は僕の妹だ。……なんてね。」と書いていただいて、それまでの日々が報われたというか……「創作の世界そのものの中に入りたい」という気持ちがすごくあった時に、伸ばした手を幾原さんにきちんと捕まえてもらった感じがしました。

幾原 そうでしたね。小説、面白かったです。「共通の風景を見てきたな」っていう感じられるディティールが随所にあって、その意味で、「妹」という言葉を使ったんじゃないかと。「スティーブン・キング的だな」っていう印象も受けました。そういうところも含めて、年齢は違うんだけれど、広い意味で同世代的な何かを感じるディテールはいろいろありました。

辻村 今回も対談で声をかけていただいてとてもうれしいです。多分最後にお会いしたのが、TVの『輪るピングドラム』が終わった時にムック用に対談した時だったと思います。だから改めて劇場版『RE:cycle of the PENGUINDRUM』の完成したタイミングでお話ができる機会をもらえて、今日はとても楽しみにしてきました。

幾原 そうか、そんなに会ってなかったんですね。メールとかで時々やりとりしてたので、そういう印象はあまりなかったな。

――― 辻村さんは劇場版『RE:cycle of the PENGUINDRUM』をご覧になっていかがでしたか?

辻村 前編は映画館で見ました。レイトショーに近い回だったんですが、ほぼ満席で、「ここに来てる人たち全員のことが好き」って思えたというか(笑)。「素敵な空間だな」と感じ、観ることで私も映画の世界観に参加できた感覚があってとても幸せでした。映画本編では「あの最終話から始まるんだ」っていう展開から、胸を鷲掴みにされました。「今、自分の中にあった歴史がさらに進む瞬間を見てるんだ」とうれしさが込み上げてきて。また、あれから時を経て、当時受けた衝撃を思い出すと同時に、時間が経って当時と感じ方が変わってきていている部分もあり、すごく新鮮でした。……それで後編も見た上で、今日、幾原さんに最もお聞きしたかったのは、TVの「きっと何者にもなれない、お前たちに告げる」から今回の「きっと何者かになれる、お前たちに告げる」へと至った過程はどういうものだったのだろうか、ということなんです。

「きっと何者かになれる」という言葉は「今の若い人に届けたい」。

幾原 うーん、「何者かになれる」についてはかなり早い段階で、そういう言葉にしようって思ってたかな。なにかはっきり根拠があるわけでもないんだけれど、時間も10年経過したことに加え、「今の若い人に届けたい言葉」ということを考えた時に、「その言葉かな」というふうに思ったんだよね。

辻村 10年前の対談を読み返すと、私は「何者にもなれない」について「誠実な言葉だ」と言っているんです。それは自分の感覚が高倉兄弟妹に近かったし、10年前の感覚としても「何者にもなれない」ということがそう感じられたからだと思います。でも今回、劇場版を見たら、より強く惹かれたのは「何者かになれる」という言葉のほうだったんですよね。それは私が時を経て、自分より下の新しく若い世代に“主人公”を譲った上で、「自分に何ができるのか」という目線で作品を見たからだという気がしました。

幾原 『輪るピングドラム』の準備が本格的に始まったのは2008年とか2009年ぐらいだったと思う。その頃、自己承認をめぐるワードとして「何者かになる/なれない」という感覚が世の中に広まっていて。それが放送直前にあった東日本大震災を境に変化したんじゃないかと。自己承認というものの価値が変容したというか。

――― 確かに東日本大震災は社会全体に大きな影響を残しました。

幾原 東日本大震災は、戦後初めてといってもいいぐらい大きな共通体験で、多くの人が喪失を感じた。それまでは「こんな感じの世間がずっと続くのかな」という感覚が大勢の中にあったけど、そんなことはないんだということを多くの人、特に若い人がメディアを通じて体感した。『ピングドラム』という作品自体もそれに影響を受けて、企画時から変わった部分もあった。それから10年が経過したわけだけれど、今度はコロナ禍があり、戦争が始まり。10年後の現在も同時体験として喪失感覚が世間を覆っている。そうすると使う言葉は、やっぱり変わらざるを得ない。そう思ったんです。

辻村 私の青春時代は「何者かになりなさい」という圧力がすごく強い時代で、エントリーした覚えのないレースに無理矢理参加させられているような感覚がずっとあった気がします。『世界に一つだけの花』みたいな存在そのものを肯定してもらえるような考え方もまだなくて。だから「戦わないと。戦わないと」って思わされていた記憶がまだ強く残っているところに、「何者にもなれない」という言葉を突きつけられたことで、とても「誠実」というふうに感じたんだと思います。

幾原 そういうことでいうと、飢えとか渇望みたいなもののありかた……みたいなものが、10年前と今とでは違っているということはあると思う。特に今の15・16歳の子の飢えとか渇望に関する感覚は、東日本大震災以降の感性かなって気はする。そもそも『ピングドラム』を始める時点で、人々を取り巻いているコミュニティの力が弱まっているということを想定していろいろ考えていたの。そうしたら10年経ってコミュニティの力はさらに弱くなっていて。そうすると「何者にもなれない」っていう言葉が持っている絶望感みたいなものも変わってくるんだよね。集団に何者かとして受け入れられる体験がないことが、当たり前になっちゃったんじゃないかな。それで10年前は「ガーン」ってなるような強い言葉だったのが、むしろ受け止める側も「そんなに悩むようなことかな」「最初からわかってますよ」っていうふうになっている気がする。割りと冷静にね。

辻村 それはなんかわかります。そこで私が幾原作品で毎回すごいなと思っているのは「愛している」や「何者にもなれない」にしても「運命」にしても、普段我々が見聞きしている普通の言葉からキラーワードを生み出してくることです。

幾原 あ、そういう印象があるんだ。

辻村 特別な造語に頼ったりするというより、作品の真ん中にあるのは、私たちが見ている風景、見てたはずの普遍的なものや言葉を刷新して捉え直していく感じなんですよね。それが本当にすごいといつも息を呑みます。

幾原 そういわれるとなんかすごい気がしてきた。自分でも(笑)。

フィクションがこれから対峙すべきは現実だということを強く思う。

――― 辻村さんは10年前のムックに寄稿した原稿で、放送から時間が経って『ピングドラム』に触れるであろう視聴者に向けて、こんなことを綴っています。「『輪るピングドラム』が放送になった2011年、私たちの日常は失われていた。/この年を体験した誰もがきっとそうだった。その年にピングドラムは存在し、私たちのもとに届いたのだ。その事実を、この意味を、どうか、覚えていてほしい」。この「日常は失われていた」という感覚は、10年後の今も、生々しいリアリティを持って迫ってきます。

辻村 そうですね、10年前に『ピングドラム』を見た時は「運命の乗り換え後の世界に、自分たちは生きているんじゃないか」と思えたのがとても新鮮でした。でも、今を生きる人たちは、そこをもう通り越して、最初から「乗り換え後の世界」を生きているような感覚を無意識に持った上で生きているような気がするんです。東日本大震災やコロナ禍など、いろんなものが“弾ける”瞬間みたいなものを経験してきたから、みんな当たり前の感覚として「自分の生きてる世界の裏のところに別の世界があったかもしれない」「乗り換え前の犠牲を払わない世界があるかもしれない」「誰かが犠牲を払った世界で今自分が生きているのかもしれない」ということをうっすらと感じているんじゃないかと。そういう人たちが初めて劇場版で『ピングドラム』を見た時に、なにを感じるのか。「何者かになれる、お前たちに告げる」といわれてどう思うのか。そういう人たちと話しをしてみたいなと思っています。

幾原 ここ数年でいろいろなことが起きて、現実がこちらの想像力やフィクションをはるかに凌駕しようとしてきていますよね。

辻村 そうですね。

幾原 そこにどうやってフィクションで対峙していくかということが、これからのクリエイターのテーマになっていくと思います。もちろん現実とは切り離されたエンターテインメントとしてのフィクションもあっていいんです。でも僕は現実の延長線上にあると感じられるフィクションが好きなので、フィクションがこれから対峙すべきは現実だということを強く思う。僕は、作品を見てくれた人に「今だな」と感じてほしいんですよ。3年後だろうが5年後だろうが、見た瞬間に「あ、今の自分のことを描いてる」というふうに感じられる作品。そのためにもフィクションで現実と対峙するということは、とても大事なことだと思います。

プロフィール

辻村深月/作家。2012年『鍵のない夢を見る』で直木三十五賞、2018年『かがみの孤城』で本屋大賞を受賞。2022年公開『ハケンアニメ!』がロングラン上映中。

幾原邦彦/アニメーション監督、原作、脚本、小説、漫画原作、音楽プロデュース。代表作として『少女革命ウテナ』『輪るピングドラム』『さらざんまい』など。

文 = 藤津亮太
写真 = 田上富實子

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